水俣の図・物語
絵画と詩と音楽でつづるもうひとつの水俣

青林舎
1981
1時間51分
製作:青林舎
監督:土本典昭
水俣の図:丸木位里/丸木俊
音楽:武満徹
詩:石牟礼道子
製作:高木隆太郎
撮影:瀬川順一/一之瀬正史
1979年晩秋、水俣湾のほとりに紙をひろげ写生にかかる丸木位里、丸木俊夫妻の姿があった。広島の被爆の体験を地獄図として描いた丸木夫妻が、今、水俣を表現しようとしているのだ。
位里さんは風景だけで悲劇の海を描ききってみようと思っていた。俊さんは克明な人物像をすでに描いていた。刃先のように絵筆を紙に立て、中腰で一線一点を描く俊さん。それにかまわず太い刷毛で墨をのせ、よごし魔のように駆けぬける位里さん。
完成した3m×15mの絵を前に二人が語る。「水俣の風景は美しい。人間もいいにんげんばかり。わしは明るい水俣を描こうと何べんも思った。患者の闘いも描こうと思った。しかし明るくはならなかった」「石牟礼道子さんの本『苦海浄土』とはよく水俣をあらわしたことばと思うけど、苦海ばかりの絵になってしまって…」
東京・上野での製作発表。初めて絵と対面する水俣から来た石牟礼道子さんをはじめとする水俣の人たち。カメラは絵を横に歩き、縦に近づき、動態の流れにそってたどる。石牟礼さんの詩「原初よりことば知らざりき」が語られ、武満徹さんの「海へ」が流れる。カメラアイと詩と音楽の“水俣シンフォニー”だ。
1980年晩秋、二人は再び水俣を訪れる。そして胎児性患者の坂本しのぶさん、加賀田清子さんと出会う。俊さんは二人の肖像画を描くことで、位里さんは清子さんの願いを受けて水俣の海の風景を描くことで「浄土が垣間見えてきた」と語る。それは第二の図、水俣の女人像に結実していく。
1981年1月、絵の中の二人の娘の掌には丸々とした赤ん坊が描かれた。その赤子と女人像に、位里さんの手で後光のような真赤な絵の具が施されていった。
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