
絵画と詩と音楽でつづるもうひとつの水俣
1981
111分
製作:青林舎
監督:土本 典昭
水俣の図:丸木 位里、丸木 俊
音楽:武満 徹
詩:石牟礼 道子
製作:高木 隆太郎
撮影:瀬川 順一、一之瀬 正史
- 第23回 毎日芸術賞/第6回 くまもと映画祭
- 1981年度 芸術祭参加作品
- 優秀映画鑑賞会 特別推薦/日本映画ペンクラブ推薦
水俣を描く
1979年晩秋、水俣湾のほとりに紙をひろげ写生にかかる丸木 位里、丸木 俊夫妻の姿があった。広島の被爆の体験を地獄図として描いた丸木夫妻が、今、水俣を表現しようとしているのだ。
位里さんは風景だけで悲劇の海を描ききってみようと思っていた。俊さんは克明な人物像をすでに描いていた。刃先のように絵筆を紙に立て、中腰で一線一点を描く俊さん。それにかまわず太い刷毛で墨をのせ、よごし魔のように駆けぬける位里さん。

“水俣シンフォニー”
完成した3m×15mの絵を前に二人が語る。「水俣の風景は美しい。人間もいいにんげんばかり。わしは明るい水俣を描こうと何べんも思った。患者の闘いも描こうと思った。しかし明るくはならなかった」「石牟礼道子さんの本『苦海浄土』とはよく水俣をあらわしたことばと思うけど、苦海ばかりの絵になってしまって…」
東京・上野での製作発表。初めて絵と対面する水俣から来た石牟礼 道子さんをはじめとする水俣の人たち。カメラは絵を横に歩き、縦に近づき、動態の流れにそってたどる。石牟礼さんの詩「原初よりことば知らざりき」が語られ、武満 徹さんの「海へ」が流れる。カメラアイと詩と音楽の“水俣シンフォニー”だ。

水俣の女人像
1980年晩秋、二人は再び水俣を訪れる。そして胎児性患者の坂本 しのぶさん、加賀田 清子さんと出会う。俊さんは二人の肖像画を描くことで、位里さんは清子さんの願いを受けて水俣の海の風景を描くことで「浄土が垣間見えてきた」と語る。それは第二の図、水俣の女人像に結実していく。
1981年1月、絵の中の二人の娘の掌には丸々とした赤ん坊が描かれた。その赤子と女人像に、位里さんの手で後光のような真赤な絵の具が施されていった。