
源流から東京湾まで、荒川の諸相と水問題のルポルタージュ
1993
80分
製作:シグロ
監督:萩原 吉弘
製作:山上 徹二郎
撮影:一之瀬 正史
編集:市原 啓子
音楽:加古 隆
- 1993年度キネマ旬報ベストテン文化映画第4位
- 日本映画ペンクラブ・ノンシアトリカル部門第3位
- 優秀映画鑑賞会推薦
水問題のルポタージュ
1992年、11月。関東平野を流れる荒川の上流に建設中の滝沢ダムの地元合意が成立した。23年の歳月を経て、最後の反対同盟会8家族がダム建設予定地からの立退きを決めた。カメラは、ダムを誘致した山村を起点として、源流から東京湾までの水系169キロに及ぶ水路を辿りながら、現在的な川の様相と水問題を、克明にルポルタージュしていく。そこには、自然と生きた山間の人々や、農民、漁民の生活が破壊されてゆく現実とともに、なおも膨れ上がろうとする下流の都市がある。
「川をたよりに生きる」
「続・あらかわ」でも前作に引き続き、下流域に大都市をかかえる荒川の水の問題を、流域に生きる人々の暮らしの細部にまで追ってみた。
上流の新興住宅地に移り住み、自らの家庭排水による川の汚染の問題から生活の見直しをはじめた主婦。中流域で水質と微生物の問題を考えながら有機農業を続ける農民。そして、養豚業を主体としながら自己完結型の水と有機物のリサイクルを実現している人など、私たちの映画の旅は、川筋に生きる様々な人びとへの取材を通して、結局のところ「川をたよりに生きる」しかない私たちの暮らしの原点を見つめていくことになった。その旅の区切りに出会った言葉から、「水の共同体をもとめて」というサブタイトルが生まれた。

社会の軌道修正
今、世界は、近代化がもたらした功罪に気付き、バランスを失った社会の軌道修正が行われようとしている。その中で私たち自身が、川をはじめとした自然にどう向き合って行くべきなのか、その答えを求めて、カメラは、山や海に生きる人たちの肉声をフィルムに焼き付けていく。
推薦の言葉
人間は、自然に手を加えなければ生きられない存在だが、この映画はそれを批判するわけではなく、その節度を暗示する。ダム建設をめぐる現実の利害の外で、荒川源流近くに生きる人物と河口の海に生きる人物とが、偶然のように同じ一点<山>について語る言葉が、その意味で感動的だ。美しい水の映像と加古隆の音楽がその主題を鮮明にしている。
東 陽一/映画監督