筑波海軍航空隊

筑波海軍航空隊
戦後70年 戦争体験者の最後のメッセージ

監督:若月 治

ナレーション:原 日出子

製作:金澤 大介
企画:橘川 栄作
プロデューサー:曽根 祥子、山上 徹二郎

ライン・プロデューサー:渡辺 栄二
撮影:加藤 孝信
編集:蛭田 智子
整音・音響効果:永濱 清二
音楽:西井 夕紀子
朗読:天田 益男、由利 昌也、大森 大樹

制作プロダクション・配給協力:シグロ
制作・配給:パルコ
企画・製作:プロジェクト茨城

長編ドキュメンタリー
日本/DCP・BD/カラー(一部モノクロ)/99分
©2015 プロジェクト茨城

イントロダクション

特攻隊員として共に訓練を受け、日々「死」と向き合った仲間。彼らはその運命をどのように受け入れたのか、その想いとは―

敗戦の色濃い太平洋戦争の末期、爆弾を抱えたゼロ戦で、アメリカの軍艦に体当たり攻撃を命じられた若者たちがいた。
生きて帰ることのない「神風特別攻撃隊=カミカゼ」と呼ばれた若者たちだ。

戦闘機の教育訓練部隊だった「筑波海軍航空隊」(茨城県笠間市)でも84名の若者が沖縄戦の為の特攻隊に編入され60名が亡くなった。その中心は、学徒出陣によって大学を中途で辞め、特攻隊に志願した若者たちだった。「お国のために」命を投げ出すしかなかった、時代の空気の中での志願だった。戦後70年を経て、戦争経験者の高齢化が進み、その体験が語られる機会が失われつつある。本作は戦争の終結によって生き残ることができた元隊員の人々の証言を集め、彼らの素顔を描き、彼らが経験した戦争の真実に迫る。

「筑波海軍航空隊」とは

「筑波海軍航空隊」は戦闘機の教育部隊。1934年に「霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊」として開設され、1938年に「筑波海軍航空隊」に改称。1943年からは学徒出陣などによって、多くの学生が海軍に入隊。当時は戦況が悪化していたため、通常4年かかる基礎教育が4ヵ月で行われた。なお、海軍志願者12万人の内、飛行機搭乗員を育てようとおよそ8500人を選抜。そこからさらに厳しい適性検査を経て、「筑波海軍航空隊」に入隊した予備学生120人の内、神風特別攻撃隊として出撃したのは77名であった。現在、旧筑波海軍航空隊司令部庁舎は「筑波海軍航空隊記念館」として一般に公開されている。