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Photo by Wolfgang & Sylvia Volz
Christo
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壮大な〈無意味〉の意味
佐藤真
芸術とは、壮大な〈無意味〉である。クリスト&ジャンヌ=クロードの「議事堂を梱包する」アートを見ると、24年の歳月と10億円の巨費を投じた〈無意味〉に、眩暈を覚える。そして、この映画は、その壮大な〈無意味〉を実現するための、長く粘り強い政治折衝を執拗に映し続ける。
なにしろ、梱包しようという建物の歴史的〈意味〉が巨大すぎる。ナチス台頭のきっかけとなった放火事件(1933年)の舞台となったあの国会議事堂である。しかも、45年にはソ連軍の手で破壊され、修復された議事堂は東西ドイツ政府の共同管轄下に置かれるという、いわくの付きすぎた建物である。
反対派の理屈は筋が通っている。これほど大事な建物を梱包することに何の意味があるのか、と。それに対するクリストの説得はたしかに雄弁である。すべての費用は自前で行い、建造物の保護には万全を期し、すべての資材はリサイクルに廻すという。だが、その理屈が「議事堂を梱包する」意味にはなりえない。誰にも迷惑がかからないにせよ、議事堂を梱包することは〈無意味〉なことなのだ。
ドイツ連邦議会が問われたことは、ただ梱包するだけの〈無意味〉な行為を認めるか否かであった。だがその過程で、常に目的や意味に呪縛されている政治の世界が、たった一人の芸術家の〈無意味〉な思いつきによって、見事に劇画化されてしまった。政治家の沽券や歴史性という権威がいかに虚飾に満ちたものであるかが、この〈無意味〉なプロジェクトによって浮き彫りにされる。なぜなら、「自分が見てみたかったから」という単純な動機以外、この壮大な梱包プロジェクトを支える意味は何一つないからだ。
それにしても、この壮大な〈無意味〉を実現するための莫大なエネルギーは一体何なのだろう。映画が営々と描き続けるのは、その具体的な細部である。布の選定、強度テスト、縫製、足場の組立て、ロッククライマーによる梱包作業……。「自分のため」という芸術家の特権を実現化するには、遠大な曲り道と無限とも思える具体的問題を解決しなければならない。この壮大な無駄の具体的積み重ねの末に、「議事堂の梱包」がようやく全貌を現わし始めた時、クリストたちの恍惚に自然に感情移入できるのが、この映画の力である。
この壮大な〈無意味〉がベルリンの街に現われ始めた時、自然発生的に人々は寄りそい、議事堂前の広場は祭り空間と化した。そこに集まった人々の大半は、クリスト&ジャンヌ=クロードという高名な芸術家のことも、24年にわたる交渉のことも全く知らない人々だろう。ある時突然、なぜだか分からないが議事堂が巨大な布によって梱包された。その〈無意味〉に心魅かれて、自然に集まってきたのである。
人は、こうやって〈無意味〉に癒される。〈意味の権化〉ともいえる議事堂だからこそ、ただ梱包されることが限りない心地良さに通じる。それが、クリスト&ジャンヌ=クロードの「梱包アート」の意味なのだ。
(さとう・まこと 映画監督)
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